誉田八幡宮 |
ここってもう羽曳野市だったのか^^;
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玉砂利道の先には
横長の拝殿 |
画像左下が、拝殿(中門)から見える本殿です。 |
他には
手水社の龍(画像左上)。長めの角がステキ♪ 下のほうまで造形されてるのって珍しいんじゃないかな?
姫待稲荷社(右上)、源頼朝から寄進されたとされる神馬(左下)、恵比須社(右下)などがありました。
龍・鳳凰・バク・馬などの神獣や、装飾の造形美が素晴らしいなと感じましたです。
ちなみに、葛井寺❐からわざわざ引き返してまでここに来たのは
八幡宮にある太鼓橋が見たかったからなのです^^;
「誉田の八幡さんといえば、恐怖の太鼓橋!」
。。。幼少期のこの記憶だけが鮮明に残ってたんですよね。
拝殿から、右に暫く進むと、大人2人分ほどの幅の小さな太鼓橋があるのですが
境内でも少し離れた位置にあるので
はじめて誉田八幡宮に来られたかたは見落とす率高いと思います^^;
もうすぐ見えてくるハズ。。。
あったーっ! |
(当時は柵もなく普通に渡ることができた)
冒頭に唄った「恐怖の太鼓橋!」っていうのは
大人でも助走をつけないと渡るのは難しい石橋だったんですよw
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と言われるのが悔しくて、「渡れるわっ!」と言ったものの。。。
距離が5mもない橋だけど
4~5才だったわたくしめにとっては、立ちはだかる壁にしか見えずw
すごく脅威に感じたし、手を入れるような隙間もない。
橋のてっぺんまで行くのに何度も失敗し
てっぺんから降りるのも異常に怖く感じたのですよ@@;
結果、擦り傷だらけになってたし;;
なので「恐怖の太鼓橋!」として鮮明に覚えているのですwww
なるほど、赤丸部分から先は宮内庁管轄の応神陵古墳だったんですな!
当時は、あの赤丸部分の境界ラインまで行くことができて
「何で柵してあんのん?」
「あそこは偉い人のお墓やから入ったらあかんねん。」と親父が言ってたっけ。
そうかー、そういうことだったのかー。 今さらにして超納得したっ^^;
あ~、だから池に埴輪があったのかっwww 更に納得したっw
亡き親父よ。あの橋はまだあったでっ! 柵かかってて渡れなくなってたけどな。。。
まぁ~、大人でも少々危険かもなんで柵するのは当然の処置だったかも知れないですな。
それに文化財だし、渡るなんてもってのほか!ってことかもね。汗
(当時は寛容だったってことやね^^;)
せっかくなんで、応神陵古墳も見ておきましょうかね。
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